北 朝鮮 チョコパイ。 【北朝鮮砲撃】 チョコパイ渡しても暴行されたという北朝鮮漁民〜緊張高める北の難癖[04/01]

北朝鮮当局、開城工業団地で韓国企業からのチョコパイ差し入れを拒否 : ネトウヨにゅーす。

北 朝鮮 チョコパイ

北朝鮮の非核化が焦点となるほか、朝鮮戦争の終結も取り沙汰されており、北朝鮮をめぐる問題はひとつの節目を迎えようとしている。 一方で、いまだ北朝鮮の暗部として語り継がれるのが1959年から1984年まで続いた「在日朝鮮人の帰還事業」(北送事業)だ。 当時、北朝鮮は「地上の楽園」との甘言を流布し、それを信じた約9万3000人の在日朝鮮人と家族が日本から北朝鮮に渡った。 しかし、帰国者は最下層身分である「敵対階層」に分類され、極貧生活と強制労働に苦しんだといわれている。 命からがら脱北した人も少なくなく、今も日本には200人以上の脱北者が暮らしているという。 今年は、その帰還事業から60年という時期にあたる。 しかしながら、帰還事業を主導した在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)や日本の各政党、北朝鮮を礼賛していたマスコミらは、いまだ口をつぐんでいるのが現実だ。 いったい、帰還事業とはなんだったのか。 当時、朝鮮総連に所属していた在日二世の呉文子(オ・ムンジャ)氏は帰還事業で親子関係が引き裂かれた経験を持つ。 呉氏は在日朝鮮人商工連合会理事などの要職に就いていた関貴星(せき・きせい)氏を父に持ち、在日女性たちの同人誌『鳳仙花』を創刊、文学誌『地に舟をこげ』の編集委員を務めたエッセイスト。 数少ない当事者のひとりである呉氏が、沈黙を破って帰還事業について語った。 その貴重な証言をお伝えする(以下、1月に在日本大韓民国民団で行われた講演より)。 「金日成マンセー」と叫んで北へ帰っていく人々 帰国事業が行われていた際、私は「社会主義の勝利は歴史発展の法則だ」と信じて疑っていませんでした。 しかし、北朝鮮の一党独裁政権によるひどい現実を聞くにつれて、悔やまれてなりません。 私は、北朝鮮を批判し『楽園の夢破れて』を執筆した関貴星の娘であり、帰国事業の生き証人でもあることから、これまでインタビューの申し出や執筆の依頼はありましたが、帰国事業の報道のあり方に不信感があったため、表立って語ることは避けてきました。 ただ、60年という節目の年であること、傘寿を過ぎて、これが最後の機会になるのでは、との想いから、今回語ることにしました。 当時、新潟港から北朝鮮への帰国船は万景峰号ではなくソ連製の大きな船でした。 新潟港を出港した第一船は、今も思い浮かべることができます。 当時、日本は貧しかったですが、在日コリアンはさらに悲惨でした。 東京大学を卒業しても、リヤカーを引いてくず拾いをしなければならなかったのです。 そのため、北朝鮮から「何も持たないで地上の楽園に帰ってきなさい」と言われれば、信じるのは当然でした。 私も帰ろうとしましたから、北朝鮮への帰国に対する意思は理解できます。 ただし、冷静に考えれば、廃墟と化した国土の復興と再建の真っ只中で、地上の楽園であるはずがない。 そのことも理解すべきでした。 当時、マスコミは朝日新聞から産経新聞まで北朝鮮を称え、素晴らしい国だと報じていましたから、多くの在日コリアンが疑いもなく北朝鮮へ帰国しました。 埠頭での親子や友人との別れはありましたが、「温かい祖国へ帰国する」と喜びに包まれ、熱気と興奮のるつぼでした。 離港する際は「金日成、万歳(キム・イルソン、マンセー)」と叫んで北朝鮮へ帰っていきました。 今でも、結んだテープを離そうとしない人々が思い浮かびます。

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北朝鮮と韓国はなぜ仲が悪いの?

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北朝鮮の市場でチョコパイの値段が上がっている。 韓国と北朝鮮の経済協力のシンボルだった 開城 (ケソン) 工業団地で、 北朝鮮側が9日から労働者を全て撤収させ、操業がストップしているからだ。 北朝鮮当局は、韓国の 金寛鎮 (キム・グァンジン) 国防相が開城で韓国人が人質になった場合の軍事措置に言及したこと などに反発し労働者を撤収させた。 開城工業団地では韓国企業123社が進出、約5万3千人の北朝鮮労働者が働く。 韓国企業は北朝鮮労働者への間食として チョコパイを無料で提供していた。 これが大人気で、一昨年末の時点でも1日に20万個以上のチョコパイが運び込まれていた。 しかし、奇妙なことに団地内では 包装紙などのゴミがまったく出ない。 北朝鮮労働者は自分では食べず、市場に売って個人収入にしているためだ。 開城から流出するチョコパイやインスタントラーメンが 北朝鮮国内に流通している。 北朝鮮は 李明博 (イ・ミョンバク) 前政権を激しく非難したが、開城工業団地の操業はストップさせなかった。 なぜなら 労働者の賃金として年間約8700万ドル(約85億円)の外貨を得ていたからだ。 韓国企業は北朝鮮当局に米ドルで賃金を支払い、北朝鮮当局は北朝鮮で使えるクーポンなどで労働者に賃金を支給している。 北朝鮮当局には貴重な外貨獲得源だった。 開城工業団地に進出しているのは韓国の中小企業だ。 操業中断が長引けば倒産などの影響が出る。 一方、工業団地が 閉鎖されれば北朝鮮でも労働者の家族を含め20万人以上が行き場を失う。 こんなことをしていては、経済特区をつくっても 進出する外国企業はない。 北朝鮮は自分の首を絞めるような行為を早くやめるべきだ。 金正恩 (キム・ジョンウン) 第1書記がやらなくてはならないのは核やミサイルの開発ではなく、開城の労働者がチョコパイの 横流しなどせず、腹いっぱい食べることができるようにすることだ。 北じゃ食い物無くて死人まで食ってると言う話も結構聞く。 韓国のお菓子も日本のパクリ菓子ばっかだもんな、伝統の菓子とか言ってんのもあるけど 日本統治時代に日本人が残したもの。 ちなみに韓国の砂糖は殆ど輸入、日本は沖縄、奄美で砂糖が生産できる。 あと、中国の都市部行くとビビるのがコンビニとかに日系ブランドのお菓子がメッチャ多いこと。 日本語でそのまま売ってる。 これはもともとあるの和菓子に加えて洋菓子とかを取り入れて流通販売可能なものを作り出した日本人の知恵だな。 その風景を見て日本ってすげえんだなと思った。 僕が留学時代随分お世話になった在日韓国人のHさんです。 Hさんはずっと朝鮮籍でした。 しかし、歳取ったオモニが少しは祖国のために役立てと言うので、 日本の大阪でアイスクリーム製造機械の工場を経営していましたが、 これを整頓して、国籍を韓国籍に変更しました。 そして、韓国に洋食文化をつくりだそうと80年代初めにソウルにやってきました。 梨花女子大の近くにレストランを出して、 ゆくゆくは店の数を増やしていく考えでした。 売り物はカレーライスでした。 ルーも日本から持ちこみ、日本式のカレーを作りました。 Hさんがまず直面したのが、従業員との「文化摩擦」でした。 在日のためか、Hさんの発想は日本的なものです。 Hさんはまず従業員を信頼しなければいけないと考え、レジを任せました。 ところがこれは裏目に出ました。 金銭を扱うレジは決して他人へ任せてはならないということでした。 なるほど、韓国のタバン(喫茶店)や食堂で一番一般的な姿は主人のおやじはぶらぶら、 奥さんがレジというスタイルです。 次ぎに困ったのが従業員の食事です。 従業員達はレストランで客と同じテーブルで食事をします。 Hさんはこれは我慢なりません。 食事代が惜しいのではなく、客商売なのだから、 厨房で食べるとか、外でして欲しいのです。 さらに時には閉店時に友人まで連れて来て、このレストランで最も豪華な定食の皿より数多い食事を取ります。 ある時は従業員が友達を連れてきて、朝食で散財したために、 昼食時間にライスが足りなくなって他の店にライスを買いに行ったこともあると言います。 Hさんは「俺は何をしているのだ」と自己嫌悪に陥ったと言います。 Hさんは従業員に別途に食事代を給料に上乗せするので、店で食事をするのは止めるように頼みました。 しかし韓国人従業員の立場からは、 食事も十分に取れないというのは主人が「冷たい」ということになります。 従業員が店で食事して気になるのはHさんだけで、客も従業員も「クェンチャナヨ」(構わない)な訳です。 店や食器を清潔にすることを心がけ、食器洗い器も入れ、コップなどは3度洗うように言っても、 「そんなことするからコップがたくさん割れるのだ。 コップなど適当に洗えばいいのに」と 逆に馬鹿にされてしまいました。 次ぎはお客との戦いでした。 日本式のカレーなので、ご飯の量が少なく、客がご飯の追加を求めます。 ご飯が追加されるとカレーが足りなくなり、 カレーの追加要求というシジフォスの神話が演じられます。 そして「キムチ」はないのかのお決まりの要求が出ます。 「韓国に洋食文化を普及させたい」というのがHさんの願いでしたから、カレーライスにキムチを出しては趣旨に反する訳です。 Hさんはこうした悪戦苦闘を続けました。 そしてこうした苦労に加えてHさんを嫌にさせたのが、 警察や税務署の関係当局でした。 「何のために大学周辺に店を出したのか。 学生デモの情報召集のためではないか」と言った圧力があり、 暗にワイロの要求や税務調査の脅しがかかりました。 元朝鮮籍だということから「朝鮮総連のスパイではないか」という圧迫が、陰に陽にHさんを苦しめました。 Hさんは数年間の苦闘の末に、 朝鮮撤退を決め、財産の大半を失い、85年に大阪に帰りました。 3年ほど前、新しく事業を始めたHさんを大阪に訪ねた時、 「もう二度と韓国へは行きたくない。 日本に帰化する」とおっしゃってました。 Hさんにとって、韓国のカレーライスは果てしなく苦い味となってしまいました。

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北朝鮮、通貨ウォン廃止 チョコパイ本位制に移行

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この記事の目次• 4 ~ 5歳の頃に芸術団員に抜擢され、音楽の才能に恵まれた子女が通う平壌市内の金星第 2高等中学校に入学、、卒業後は中国の北京に留学して声楽を専攻後に、銀河水管弦楽団の公演で歌手を務めてりました。 2005年 9月に仁川広域市で開かれたアジア陸上競技選手権大会で、「北朝鮮美女軍団」と呼ばれた北朝鮮選手を応援する学生協力団の一人です。 2009年に金正恩氏と結婚しています。 またこの「美女軍団」と呼ばれた銀河水管弦楽団は、 2013年 8月 29日、韓国の『朝鮮日報』が、中国側からの取材で、ポルノ映像制作などの性的スキャンダルが発覚し、メンバーはじめ十数人が処刑されたと報じられ、更にはメンバーはじめ音楽家 9人が処刑され、楽団は解散させられたと日本のメディアでも報道されています。 jimcdn. 楽団は当時の北朝鮮の最高指導者である金正恩第一書記の指示により、 2012年 7月に結成され、メンバーの選抜も第一書記が行っています。 現在は最高指導者の妻である李雪主自身が演芸界に影響力を持つため、メンバー選定にも関与していると言われています。 メンバーや幹部の待遇は朝鮮人民軍所属の軍人扱いです。 北朝鮮において最も人気のあるガールズバンドとも呼ばれています。 歌唱、楽器演奏とも世界的に一流のレベルと言われています。 ミニスカートや半袖など、露出度の高いコスチュームや現代的でファッション性の高いヘアスタイル等など、服装に厳しい北朝鮮の中では、華やかな存在となっています。 mainichi. 1960年代初め、北送船で北朝鮮入りし、万寿台(マンスデ)芸術団で活動、 1970年代半ば、故金正日総書記と同棲を始め、2人の息子の正哲と正恩、娘のヨジョンを産んだとされています。 2004年にフランス・パリのジョルジュ・ポンピドゥー欧州病院で、乳がんで死亡するまで、故総書記とは一緒に暮らしていたと北朝鮮メディアが伝えています。 かつては、金正恩の生母として「共和国の敬愛なる母」と北朝鮮では偶像崇拝されていました。 twimg. イム・ジヒョンという名前は仮名で、チョン・ヘソンという名前で出演し、 2014年 1月に南朝鮮に行った後に、 2017年 6月に北朝鮮に帰国しています。 平安南道安州市の文峯洞で両親と一緒に暮らしていると言われています。

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