わいせつ 意味。 強制わいせつとは?構成要件と事例

わいせつ

わいせつ 意味

強制わいせつとは 強制わいせつとは、男女問わず、相手の同意のないまま、わいせつな行為をすることを言いますが、刑法では次のいずれかに当てはまる場合を強制わいせつ罪と定めています。 13歳以上の男女に対し、暴行または脅迫を用いてわいせつな行為をした• 13歳未満の男女に対し、わいせつな行為をした このように強制わいせつ罪が成立するかは、年齢・同意の有無・行為のわいせつ性の3点がポイントとなります。 相手が13歳未満だと合意の有無に関係なく強制わいせつ罪となるのは、13歳未満では「わいせつ」の意味を正しく理解できず、そもそも同意する能力がないと判断されるためです。 どこからがわいせつ行為か 強制わいせつにおけるわいせつ行為とは、普通の人であれば嫌がるような行為全般を指します。 たとえば、相手が嫌がっているのにもかかわらず、服を脱がせたり、キスをしたり、身体に触る行為は、全てわいせつ行為に当たります。 強制わいせつ事件としては、キスをする、抱きつき、胸を揉む、陰部を触る、といった行為が多くなっています。 同意の有無と勘違い 強制わいせつ罪は、文字通りわいせつ行為を「強制」することが必要です。 刑法では「暴行または脅迫を用いて」とありますが、ここでいう「暴行」とは幅広い意味を持ち、同意がなければほぼ当てはまると考えてよいでしょう。 もっとも、転んだ拍子に身体に触れてしまったような場合には、同意はありませんが強制わいせつ罪とはなりません。 加害者が意図的にわいせつ行為を働いていることが重要です。 強制わいせつ事件では、同意があったと勘違いしてわいせつ行為をしてしまった、という事件が多くあります。 勘違いであっても強制わいせつ罪は成立します。 しかし、加害者が勘違いしてしまってもおかしくない状況だったと証明できれば、罪に問われない場合もあります。 なお、相手が13歳未満であったのに、13歳以上と勘違いして行為に及んだ場合には、勘違いしてもおかしくなかった状況を証明できれば、同意の有無について争う余地が生まれます。 準強制わいせつとは 準強制わいせつとは、相手が酔っている場合や知的障害を抱えている場合など、正常な判断ができず、抵抗できない状況に乗じてわいせつ行為に及ぶことを言います。 アルコールや薬物、睡眠薬等を用いて行われる場合が多く見られます。 準強制わいせつというと、強制わいせつよりも軽微な犯罪に感じられるかもしれませんが、科される刑罰は強制わいせつと変わらず、6か月以上10年以下の懲役です。 痴漢行為との違い 強制わいせつ罪に該当する場合であっても軽微な場合は実務上、強制わいせつ罪ではなく、迷惑行為防止条例違反となる場合もあります。 例えば、電車や路上等の公の場で、服や下着の上から瞬間的に触った場合などは、迷惑防止条例違反として処罰をけることになる可能性があります。 迷惑行為防止条例違反の場合は、6か月以内の懲役又は50万円以下の罰金の刑罰となることがほとんどです。

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強制わいせつとは|キスやハグでも強制わいせつとなるか?弁護士が解説

わいせつ 意味

強制わいせつとは|キスやハグでも強制わいせつとなるか? 詳細を徹底解説します お酒を飲んだ勢いで女子高生にキスをしたことにより,「強制わいせつ罪」として書類送検された有名人が話題となっています。 日常でもニュース番組等で目にする機会のある強制わいせつ罪という罪名ですが,一体どのような行為がその処罰対象となるのでしょうか。 今回のようにキス 接吻 という行為だけでも強制わいせつ罪は成立するのでしょうか。 その刑罰はどれくらい重いのでしょうか? 逮捕はされないのでしょうか? いろいろと関心がわいてきます。 外国では,キスは,別に恋人同志ではない他人であっても挨拶のように,愛情表現として普通に公然と行われている文化習慣を有する国もあり,そういう文化習慣のない国でも,子供には,その子が他人の子どもであっても,愛情表現としてキスをするのが不自然ではない国もあるでしょう。 また,キス以外にも 「ハグ」と言われる抱き付き行為についても,強制わいせつになるのか関心があるでしょう。 このあたりを法律的な観点から少し考えてみましょう。 強制わいせつとは? その成立要件について まず,強制わいせつ罪とは,暴行又は脅迫を用いて,わいせつな行為をした際に成立します。 また, 13歳未満の者に対しわいせつな行為をした場合は,暴行や脅迫を用いなくとも,相手の同意があった場合であっても,強制わいせつ罪が成立します。 13歳未満ではわいせつな行為の意味を正確に理解していないと考えられることや,同意する能力がないと考えられるためです。 なお,強制わいせつ罪は, 6月以上10年以下の有期懲役という重大犯罪となります。 重いですね。 それでは,強制わいせつ罪が成立するための要件にはどのようなものがあるのでしょうか? まず,「わいせつな行為」がなされる必要があります。 「わいせつな行為」とは, 被害者の性的羞恥心を害する行為を言い,具体的には,胸や陰部を触る行為などを言います。 キスがこれにあたるのかは,後ほど解説したいと思います。 次に,成立要件としては,被害者の同意がないことが要件となります。 両者に同意があるならば,わいせつとされる行為も人間の自然な営みであったりするので,犯罪として問題にされる筋合いはありません。 もちろん,両者に同意があったとしても,街中などで公然と行えば公然わいせつ罪という別の犯罪が両者に成立することには注意が必要です。 また,強制わいせつの手段である「暴行又は脅迫」とは,被害者の 反抗を著しく困難にする程度のものであることを要します。 この判断は,犯人や被害者の年齢,犯行の状況,凶器の有無等によって判断されます。 なお,わいせつ行為自体が暴行行為であった場合にも,本罪が成立します。 つまり,特に殴るなどの暴行を加えなくても,胸を触る行為それ自体が,強制わいせつ罪の手段たる「暴行」であると同時に「わいせつな行為」でもあるわけです。 次に,わいせつ行為が「加害者の性欲を刺戟興奮させまたは満足させるという性的意図のもとに行われること」は必要とされるでしょうか? 従来,このような行為者の性的意図も強制わいせつ罪の成立要件でした。 古い判例になりますが,例えば,専ら被害者に復讐する目的で,被害者の裸の写真を撮ったような場合には,性的意図が無いものとして扱われ,強制わいせつ罪は成立しないとした最高裁判例があり 最高裁昭和45年1月29日第1小法廷判決 ,その後は,この判例に従った運用がなされていました。 しかし,これは,被害者の被害感情を無視するようなもので,行為者がどのような意図をもって行為したとしても,被害者が性的羞恥心を覚えるような行為は,同じく罰すべきです。 そこで,従来の判例や実務運用は,時代にそぐわないとして,この最高裁判例が変更され,最高裁平成29年11月29日大法廷判決では,最高裁判所裁判官15名全員の一致で,このような行為者の性的意図を必要としない旨判断されました。 被害者の同意の有無はどのようにして判断される? ところで,相手の同意の有無は,裁判でよく争点になります。 被害者が同意などしていない,と言い,加害者は同意があった,被害者も望んでいたなどと主張し,裁判で争われます。 強制わいせつ罪における最も重要な証拠は,被害者の証言そのものですから, 被害者証言の信用性が裁判の結論を左右します。 よく,わいせつ行為をしたという証拠がどこにあるんだ,証拠がないのにそのような訴えをするな,などという主張を耳にしますが,被害者の証言が最大かつ十分な「証拠」なのです。 他に証拠がなくても,被害者の証言だけで起訴され,有罪となったケースは山ほどあります。 「それじゃあ,言われた者負けじゃないですか!」という声が聞こえてきそうですが,もちろん被害者証言は,行為者を有罪にできるほど信用性高いものでなければなりません。 どのような場合に被害者証言が信用できると判断されるかというと,様々な諸事情を総合的に判断します。 例えば,加害者と被害者との関係,知り合った期間,行為に至る経緯,行為時の状況,行為後の状況など様々な事情が精査されます。 この点,泥酔した上で,夜に突然,女子高生を単身居住する自宅に呼びよせて行うわいせつ行為は,同意がないとされることが多いでしょう。 「男性が単身居住するマンションに行くのだから同意があったのでは? 」と考える方もいるでしょうが,女性の友達と二人で行ったというなら被害者も警戒していたことが窺え,やはり同意はなかったという方向に傾きます。 はたしてキスは強制わいせつとなるか 強制わいせつ罪の示す「わいせつな行為」は,「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ,かつ,一般人の正常な性的羞恥心を害し,善良な性的道義観念に反する」行為を言います 最高裁昭和26年5月10日判決。 つまり,大雑把に言うと,被害者が,性的な意味で恥ずかしいという不快な思いにさせられる行為を言います。 典型的には,胸や陰部を触る行為などの行為です。 握手をすることは,一般的には,性的な意味で羞恥心を感じさせられるものとは言えないでしょう。 もちろん,無理矢理握手されたときには嫌悪感を覚えることもあるでしょうが,それでも「わいせつ行為」とは言えないので,強制わいせつ罪は成立せず,せいぜい暴行罪や強要罪が成立し得るにとどまります。 では, キスをすることは「わいせつ行為」にあたるのでしょうか? 冒頭に述べたように,元来,キスは,世界の国々においては,挨拶,尊敬,友情を表現するものとして日常的に行われており,それはテレビの中で,各国首脳の挨拶としてもよく目にするところです。 一方で,キスは,普通,性欲と結びついた性愛の表現として行われることも多く,単なる挨拶や友情,尊敬といった意味合いではなく,性欲の満足を図るために行われることも多いのです。 口唇も催情感帯の一つなので,性的な意味合いを排除することはできません。 ですから,そのような性愛表示としてのキスは,「わいせつ行為」に当たる可能性があります。 では,どのような場合に,わいせつ行為と言えるのでしょうか? 先ほどの被害者の同意があったかどうかという問題と重なる部分もありますが,ここでは,被害者の主観が問題なのではなく,行為としての性質が問題となります。 この点,どの裁判においても,当事者の関係のほか,キスがなされた時間帯,場所,姿勢,態様,周囲の状況,雰囲気などの要素を総合的に考慮して判断しています。 この点,特に親しい間柄でもなく,被害者が未成年であることなど歳も離れていて,会話の雰囲気においても,当事者が自然とキスに至るようなロマンチックな雰囲気でもなく,行為者が夜間お酒に泥酔していて性的欲求も高まっている中で,敢えて密室において突然キスをするような場合にはわいせつ行為と認定され,強制わいせつ罪が成立するでしょう。 この場合,密室ですから,被害者としてはキスから更にわいせつ行為がエスカレートしていくのではないかという恐怖も感じるはずです。 この場合,友情表現であるとか,挨拶であるとはなかなか弁解できません。 ちなみに,古い裁判例で,判決文も古めかしいですが,キスのわいせつ性について,このように言っています。 「男女間における接吻は性欲と関連する場合が多く,時と場合即ちその時の当事者の意思感情や行動状況環境等により一般の風俗性的道徳感情に反し猥褻な行為と認められることがあり得る。 人通りの少ない所や夜間暗所で通行中の若い婦女子にその同意を得られる事情もないのに強いて接吻を為すが如きは,親子兄妹或いは子供どうし等が肉親的愛情の発露や友情として為すような場合と異なり,性的満足を得る目的をもって為したるものと解せざるを得ず,かかる状況下になされる接吻は猥褻性を具有するに至るものといわなければならない。 」 昭和33年2月24日高松高裁判決 と。 では,ハグは強制わいせつとなるか 既に説明したように,「わいせつな行為」が「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ,かつ,普通人の正常な性的羞恥心を害し,善良な性的道義観念に反する」行為を言うとすると,はたして 「ハグ」つまり抱き付き行為はどうでしょうか? ハグも世界中で挨拶として,あるいは,友情を示す表現として行われることが多く,そのような行為を「わいせつ行為」であると感じるのではないでしょうか。 抱き付き時の状況や抱き付いた時間の長短にもよるでしょうが,胸を触る,陰部を触る,キスをするという行為に比べれば,ハグをするという行為は,直ちにそれが性的な行為であると連想することはないでしょう。 ただ, それが相手の意に反して行われた場合には,暴行罪になります。 古い判例ですが,抱き付き行為や馬乗り行為を「わいせつ行為」には当たらないとした裁判例があります。 この裁判例は,顔見知りの女性をからかい,逃げる女性のあとを追って抱き付いたら同女があおむけに倒れたので,馬乗りになったという事例ですが,「猥褻とは徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ,且つ普通人の正常な性的羞恥心を害し善良な性的道義観念に反する行為をいうものであるが, 抱き付いて 馬乗りになるという行為自体は,普通の性的行為を実行する体勢ではなく,また直ちに性的行為を連想せしめる行為でもない。 」として 強制わいせつ罪の成立を否定し,暴行罪を認定したのでした 大阪高判昭和29年11月30日判決。 キスの強制わいせつ罪はどのくらい刑罰が重いか 既に説明したように,強制わいせつ罪の刑罰は,6月以上10年以下の懲役です。 罰金刑というものはありません。 キスという行為も胸や陰部を触るという行為も同じく強制わいせつ罪が成立しますが,量刑,つまり,刑罰の重さは異なります。 犯罪行為の悪質性が違うからです。 胸や陰部を触るという典型的な強制わいせつ罪の場合,前科の有無にもよりますが,懲役2年は覚悟しなければなりません。 もちろん,示談等がなされていれば,それが起訴前であれば不起訴処分になる可能性があります。 また,起訴後に示談が成立した場合には,執行猶予判決がつくことが多いでしょう。 一方,わいせつ行為がキスだけ,しかも,一回キスしただけという場合には,その態様,犯行時間の短さ,強度,被害感情の強さなどを考慮すると,他の強制わいせつ事案よりは,量刑は低くなります。 捜査段階で示談が成立すれば,不起訴処分になるでしょうし,捜査段階で示談が成立せずに起訴されたとしても,感覚的な見解になりますが,重くて懲役1年6か月,軽ければ懲役10月程度でしょう。 こちらももちろん起訴後に示談が成立すれば執行猶予判決となるでしょう。 なお,最近の法改正で強制わいせつ罪は親告罪ではなくなりました。 ですから 告訴がなくても検察官は起訴できます。 強制わいせつで逮捕された場合の対処法について 強制わいせつ罪で逮捕された場合,どのように行動すればよいでしょうか。 ここでも弁護士の選任が重要です。 事実に争いがある場合には,取調べに対する的確なアドバイスが必要になってきますし,事実関係に争いがない場合でも,迅速に示談交渉に着手して身柄拘束期間を短くする必要があるからです。 逮捕・勾留という身体拘束は,様々な社会的な不利益を本人にもたらします。 勤務先を解雇になるかもしれません。 家族も心配で毎日眠れません。 今後の見通しや裁判になるのかどうかも分からない中で不安ばかりが日々増していきます。 本人に事情を聞きたいけれど,面会時間が限られている上,面会にあっても事件に関する会話は禁止されます。 この点,専門性を有する経験ある弁護士であれば,いつでも接見できますし 時間の制約は原則ございません ,検事面会等を通じて情報を収集し,事件の見通しもつけることができます。 そして,何よりも示談交渉に着手することができるのです。 もし,示談交渉に成功すれば不起訴処分になる可能性が高まりますし,身柄拘束期間を短縮することに繋がるかもしれません。 そのため,早期から刑事事件に詳しい専門的な刑事弁護士が必要となります。 なお,当事務所では,検事時代に被害者に長年接してきた元検事の弁護士2名が率いる弁護士チームが対応いたしますので,被害者との交渉内容,方法,タイミングについて,最善のアドバイス,弁護活動を提供いたします。 まとめ いかがでしたでしょうか。 キスも強制わいせつ罪になると何となく理解していた人も,具体的にどうしてわいせつ行為と言えるのか,その判断要素は何かなど曖昧な方も多かったと思います。 そういう方がこの説明で理解が深まったとしたら幸いです。 また,逮捕を回避するため,あるいは,逮捕されたとして起訴や実刑を避けるためには何と言っても弁護士の助力が必要です。 一番重要なことは,自らを犯罪の行う環境に置かないことですが,犯罪というものは,何も特別な「犯罪人」という種類の人が犯すものではありません。 誰でも犯罪を行ってしまう潜在的リスクを有しているのです。 そのリスクをできるだけ小さくするには,普段の生活習慣や生活態度を正すところから始めてみませんか。 お酒もそうです。 わいせつ系の犯罪はそのほとんどがお酒が絡んでいるからです。 飲んでものまれるな,ですね。

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痴漢などの性犯罪は「強制わいせつ罪」~刑法改正で法整備が進む~

わいせつ 意味

我々は、発表にあたって、「表現の自由の規制」というテーマから、3つの論点を中心に扱うことにいたしました。 1「わいせつ物の規制」 2「裁判官の良心」 3「青少年の健全育成」 以上3つのテーマを2週にわたって取り扱いました。 その報告をさせて頂きたいと思います。 1週目(1月10日)発表報告 「わいせつ物の規制 ~刑法175条違憲論~」 「えっちなのはいけないと思います」 という言葉がありますが、「なぜいけないのか?」という疑問を感じたことはないでしょうか? 「人を殺してはいけない」「ものを盗んではいけない」というように、世の中「やってはいけないこと」が沢山あります。 今挙げた2つの例に関していえば、「殺されて」「盗まれて」困る人がいる、だから「やってはいけない」、ともいえるでしょう。 つまり、「そういうことをすると困る人がいるから、やってはいけない」という理由付けです(もちろん、理由はそれだけではないでしょうが)。 では、「えっちなこと」は何故いけないのでしょう? それによって困る人とは、誰なのでしょうか? これが1つ目の論点です。 ところで、刑法175条という条文があります。 刑法175条 わいせつな文書、図画その他の物を頒布し、販売し、又は公然と陳列した者は、2年以下の懲役又は250万円以下の罰金若しくは科料に処する。 販売の目的でこれらの物を所持した者も、同様とする。 要するに、「わいせつなものを売ったり大っぴらに並べたりすると罰せられますよ」ということなのです。 ところが、国民の皆さんはこの条文を見て、こう思うかもしれません。 「わいせつって、何だ?」 国は「わいせつな文書、図画その他の物」を世に出してはいけないというけれど、「そもそも何がわいせつで、何がわいせつでないんだ?」という疑問は、多くの人が抱くものではないでしょうか。 憲法21条で「表現の自由」が保障される以上、たとええっちなものであろうとも、表現の一種なので、表現する自由はとりあえずは守られるはずです。 仮に、国がわいせつな物を規制できるとしても、国民の側が「何がアウトで何がアウトでないのか?」がわからないと、国が好き勝手に表現物を規制できることになります。 なので、「わいせつ」の内容をはっきりさせることは、国民の権利を保障する上でとても退治なことなのです。 これが2つ目の論点です。 以上をまとめると、 1.「わいせつ」は、何故「いけないこと」なのか? 法で規制されなければならないのか? 表現の自由を制限するだけの根拠があるのか? 2.「わいせつ」と「わいせつでないもの」の線引きはどうやって行うのか? 「わいせつ」を定義することはできるのか? という2つの問いが、今回の発表で議論したかったことです。 これを通して、刑法175条が抱える問題についてフォーカスしようというのが、ねらいです。 これらを議論していただくべく、架空事例(とある小説作品がわいせつ物だと認定されたケース)をベースに、上記の2つの問いについてゼミ生に考えていただきました。 まず1の問いについて。 その違いは何ぞ? などの意見が出ました! ちなみに判例は刑法175条の立法趣旨について、 ・「性的秩序を守り、最小限度の性道徳を維持すること」(チャタレー事件に関する最高裁判所大法廷判決 昭和32年3月13日) ・「性生活に関する秩序及び健全な風俗の維持」(悪徳の栄え事件に関する最高裁判所大法廷判決 昭和44年10月15日) という風に述べています。 上のゼミ生の意見でいえば、一番上の意見に近いものだと言えるでしょう。 ただし、「わいせつ物が本当に性道徳・性風俗を乱すものなのか」という点については不明確な部分も多く、意見の分かれるところだと思います。 因果関係が「ない」とは言い切れませんが、「ある」とも言い切れない。 「そんな曖昧な因果関係ではダメだ!」という主張も、「その程度の蓋然性でいいんだ!」という主張も、どちらもありえるでしょう。 全体的には、判断能力の未熟な子供や、そういうわいせつなものを見たくない人だけを保護すれば足りるのではないか? という意見が、ゼミ生の間でも多かったように感じられました。 続いて2の問いです。 わいせつの定義について、判例では「わいせつとは徒らに性欲を興奮又は刺戟せしめ、且つ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するものをいう」と述べられています。 そして、ある物が猥褻物に当たるか否かは、「社会における良識すなわち社会通念」によって判断され、「社会通念が如何なるものであるかの判断は、現制度の下においては裁判官に委ねられている」と言うのです。 この定義および判断基準に関してのゼミ生の意見としては、 「これでよい。 あとは裁判官が個別具体的に判断」 「時代によっても変わるので、抽象的な定義でよい」 「結局は社会的にどう判断されるかだ」 「内容よりもどのような表現手段かを重視すべき」 やはり「わいせつ」というのは曖昧で抽象的な概念であるために、これを詳しく定義するよりも、裁判官、あるいは社会の判断に委ねればよい、という意見が多かったように思われます。 総括すると、刑法175条については、比較的多くの人がその在り方について疑問符を浮かべている様子でした。 やはり現にAVやアダルト漫画が氾濫している現状があるだけに、175条の規定がそもそも機能していない、という印象を与えたのかもしれません。 npa. pdf)。 2000以上のビデオやDVDが摘発されているという事実を見ると、決して175条が機能していない、とまでは言い切れないのではないでしょうか。 しかし重要なのは、「わいせつなものが世間に出回っている状況」が、そもそも悪いことなのかどうか、という点ではないでしょうか? そもそも、世に出回っている膨大な量の成人向けコンテンツが、摘発せねばならぬほどに社会の害悪になっているかどうか。 個人の好き・嫌いや快・不快ではなく、より具体的にどのような害があるのかをはっきりさせる必要があるでしょう。 個人的な感情として、そういうわいせつな物を見たくない、というのは自由です。 しかし表現物をわいせつ物として規制するのだとすれば、それは表現者の自由を制約するものとなります。 わいせつ物を規制しようと思ったら、「わいせつ物が誰にどんな迷惑をかけるのか」ということを考えないといけないわけです。 結局、わいせつ物がもたらす害が何かについては、「そういうものを好まない人がそれを見た時に、不快な感情になる」ということくらいしか、はっきりと言えないのではないでしょうか。 わいせつ物はその性質上、それを好まない人やはっきりと嫌悪する人がいるわけです。 そういう人たちの、「見たくないものを押し付けられない権利」は、保護に値するものというべきでしょう。 刑法175条も、そういった権利保護のための規定たるべきだと言えます。 逆に言えば、それ以上は過度の規制になっちゃうのです。 ただし、わいせつ物を見る側が子供になると、また別の問題が生じるのです。 これについては2週目で扱う議論なので深入りはしませんが。 結論としましては、 1.「わいせつ」の定義、またその判断基準としての「社会通念」という概念は不明確であり、国民が「国が何を禁止しているのか」を判断できず、漠然不明確ゆえに違憲である。 2.仮に明確化できたとしても、刑法175条は、他者を侵害しない場合にまで憲法21条の保障する表現の自由を制約するものであり、過度の広汎性ゆえに文面上違憲である。 という形で刑法175条は違憲であると主張いたしました。 本当はこの違憲論についても議論してほしかったのですが、時間の都合によって断念いたしました。 残念無念また来年……。 1400 2010. geocities. html 2週目(1月17日)発表報告 「裁判官の良心」 わいせつとは「徒らに性欲を興奮または刺激せしめ、且つ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反する」(チャタレイ判決)ことってなんやねんっ!そんなの裁判官に決められてたまるか!! そんな出発点。 1年間のゼミでは中絶問題や戦争の話、いじめの問題など何か私たちの心の深いところをえぐってくる道徳観、正義観、価値観と法律が絡み合うテーマが多かったものですからあえて混乱するかもしれないなと思いつつも刑法175条違憲論から少し脱線気味で議論してみた次第です。 76条3項裁判官の「良心」をきっかけに、「見ればわかる」というアメリカ合衆国のスチュアート判事の言葉など具体的な手がかりとして道徳と法について考えてもらいました。 導入の問いかけ「裁判官の良心と憲法や法律はどのような関係にあるか?」という問いかけがまずかったのかゼミ生に混乱を与えてしまい(笑) 印象としては一般人と裁判官の乖離なんてそもそもそんな存在しないしこんなこと話して実益あるの?って意見が大多数でちょっとびっくりしたのを覚えています。 裁判官が性道徳を考える際には社会通念に従わなくちゃいけないんでしょうか?それは多数派の性道徳観念なのでしょうか? 少数者保護の最後の砦である司法権なのに?表現の自由は守られるべきなのに? 自分の一意見としてはそもそも175条は性道徳を保護法益とする以上、具体的な事件が起きれば国家機関の一つである裁判所が性道徳そのものを判断することを避けられない。 そう考えると国家が道徳を間接的にも押し付けているようにはならないか。 性道徳を裁判官が判断するなんて本当にできるのか。 疑問の余地があるなら175条は21条や31条に照らして違憲なのではないかという感じでした。 今の日本は他国と比べても性に関する秩序が乱れている国と言われても強く否定はできずにどこか納得できやしませんか?インターネットではいつでも誰でも比較的容易に性表現を閲覧でき、書店などでも少々過激?と思われる出版物も散見されないわけではない。 こんな決して良好な環境とは到底言えない現状だからこそこそわいせつ表現、性秩序について国民1人1人が考える必要があるのではないでしょうか。 たしかに性に関することは大っぴらに議論するのはばかられるし性質上議論しにくいものかもしれない。 しかしそれで放置すれば良くなるものでもないと思います。 もし175条違憲論が認められなくても裁判官が真に合理的な判断をするためには社会通念の1部分である私たちひとりひとりが性道徳とは何か。 どうやって築き上げていくのかを考えていくべきですよね。 そんなわけで性道徳と法と裁判官について一緒に議論したかったわけでございました〜。 そして菊井さんの過激な具体的ケースで実際に考えていただくことになります^^ (文責)石井 「青少年保護育成条例とわいせつ規制」 先週は、「わいせつ」の定義づけを中心に発表をしましたが、今週は「そもそもなぜ青少年にわいせつ表現を触れさせてはいけないのだろう?」という疑問をもとに議論を進めていきました。 現行の制度では、青少年の健全な育成のために社会環境の整備を行い、健全育成を阻害するようなものから守るために、青少年保護育成条例が制定されています。 これに基づいて、有害図書に触れさせないなどの施策がとられているというわけです。 でも、実際私たちが書店に並ぶ本を手に取ると、いわゆる18禁指定の無いものでも際どい性描写や暴力表現が描かれているものを見かけたりしますよね。 こんな矛盾を踏まえて、私たち発表班は以下のような設問について考えてもらいました。 そして、健全とはそれらの表現について知り、その善悪を判断できること、とする意見を多くいただきました。 健全の原義を考えても、「表現が偏りなく存在している」ことは健全を育むうえでの重要な要素となるのです。 中には全く規制をせず、個人の自由な判断に任せればいいのでは?という過激な意見もありましたが、ゼミ生からの意見の中でもとりわけ強調されていたのが、「パターナリズム規制」というキーワードです。 これは青少年が発達の途上にある存在であり、色々な事について判断がきちんと行えないから、有害な情報から彼らを遠ざけてしまって良いという考え方です。 しかしその反面、性・暴力表現すべてを有害なものとして排除する事が正しいとは言えないという意見も共通して見られました。 近年ではインターネットの普及で更に様々な情報に触れられるようになり、過激な性描写 強姦や性犯罪 や暴力を描き、礼賛するようなものにさえ簡単にアクセス出来てしまいます。 そんな情報氾濫の中で、「極端かつ理想的な健全」を押し付けるのではなく、メディアリテラシーを養うために例えば学校で性教育などを行っていくことが大切なのではないでしょうか。 今回の発表を通じて、時代の流れによって人々の情報との接し方もどんどん変化している事を改めて実感させられました。 一昔前であれば、河原で拾ったわいせつな本を見て色々な想像妄想を膨らませていた、というような風景がありましたが、現在では外に出なくてもクリック一つで画像だけでなく動画まで見られてしまう環境に私たちは置かれています。 インターネット上での有害表現に関する規制の限界が、ここに表れていると言えるでしょう。 そこで私たち発表班としては、個々人間の関係性が希薄になっている今、国が一方的に「健全であれ」と制約を行うのではなく、地方自治体やわいせつ表現を出版する側、さらには市民間のコミュニティに所属している全体で青少年の健全な育成を図っていくことを本問の解決法のひとつとして提示します。 他に自主規制という手法も考えられますが、これではより安全な方に流れがちになり、健全さが失われてしまうために、あくまでも「すべき」という義務化ではなく「も、あるべき」という努力目標としておきたいと思います。 私を含む今の若者たちは、メディアの発展に伴って様々な既成表現に触れ、楽しみ、情報の受け手として振る舞いがちです。 しかし、自分の意見をしっかり持ち、後に送り手側になるのだという意識は低いのではないでしょうか。 だからこそ、情報の流布の中でそれらを取捨選択していく力を育てていくことについて、一人一人が改めて考えていこうと言いたいです。 非常に長くなってしまいましたが、今回の発表報告は以上とさせていただきます。 個人的にはまだまだ語りたりない所もありますが 笑 普段日常生活の中で、わいせつ表現について考える機会はほとんどなく、しかもそんな話をする事自体が若干タブー視されているような雰囲気もあったので、ゼミでこのテーマを扱い議論が出来た事、またBL漫画を参考資料としてゼミ生と共有するという貴重な体験が出来た事など、とても興味深く楽しい発表をさせて頂き感謝感激しています。 最後まで読んで頂きありがとうございました!来期からはついに後輩と一緒に発表をするということで緊張もしていますが、楽しく鋭く様々な問題に切り込んでいきたいと思います! 文責:菊井.

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